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公衆電話ボックス |
東日本大震災の時、JRが不通になり都心に勤務していた親戚を2人泊めたことがあります。地下鉄が動いていて、一人は都営三田線の蓮根駅へ迎えに行った。駅はごった返していて何人もの人に戸田橋へ行く道を聞かれた。 もう一人は南北線の赤羽岩淵駅へ迎えに行った。その時に駅の公衆電話を使ったらその威力を知ったのです。携帯電話や固定電話は繋がり難かったのに、つながり、使った10円玉も返ってきた。誰かが使うからと10円玉が数枚置いてあった。 今や公衆電話は激減している。緊急時には役だつがいつまで存続するでしょうか。 |
1−浮間公園事務所横 ↑先頭 | 2−浮間公園西側 ↑先頭 |
3−浮間公園東側 ↑先頭 | 4−浮間舟渡駅前右 ↑先頭 |
5−浮間区民センター前 ↑先頭 | 6−浮間北公園北側 ↑先頭 |
7−浮間東保育園の東側 ↑先頭 | 8−北赤羽駅浮間口 ↑先頭 |
9−みどりやの脇 ↑先頭 | 10−高木石油の斜め向かい ↑先頭 |
11−カンダコーポレーションの垣根 ↑先頭 | 12−都営浮間3丁目第2アパート21号棟の横 ↑先頭 |
13−エステート浮間小学校寄り ↑先頭 | 14−エステート北赤羽寄り ↑先頭 |
15−赤羽北二丁目ハイツ(国際電話可) ↑先頭 | 16−北赤羽駅赤羽口 ↑先頭 |
17−赤羽北2丁目第2アパート3号棟前 ↑先頭 | 18−赤羽北2丁目アパート2号棟前 ↑先頭 |
19−東京北医療センター向かいの道路 ↑先頭 |