かねやす店舗
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文京区教育委員会の説明
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   かねやす 本郷2-40-11
 兼康祐悦という口中医師(歯磨医)が、乳香散という歯磨粉を売り出した。
大変評判になり、客が多数集まり祭りように賑わった。(御府内備考による)
享保15年大火があり、防火上から町奉行(大岡越前守)は三丁目から江戸城にかけての家は塗屋・土蔵造りを奨励し、屋根は茅葺きを禁じ瓦で葺くことを許した。江戸の町並みは本郷まで瓦葺きが続き、それからの中仙(中山)道は板や茅葺きの家が続いた。
 その境目の大きな土蔵がある「かねやす」は目だっていた。
   『本郷もかねやすまでは江戸のうち』と古川柳にも歌われた由縁であろう。
 芝神明前の兼康との間に元祖争いが起きた。時の町奉行は、本郷は仮名で芝は漢字で、と粋な判決を行った。それ以来本郷は仮名で「かねやす」と書くようになった。

       郷土をはぐくむ文化財 文京区教育委員会 昭和61年3月