亀ヶ池弁天の霊亀
昔、赤羽駅の西口一帯には大きな池があり、亀ヶ池と呼ばれていました。明治まで灌漑用溜池として利用されていたが、明治末年埋立てられた。跡地に小さな池が残りました。言い伝えでは、昼なお薄暗い、一角のほこらには無数の亀がすんでいて、特に大亀は甲の周囲8〜9尺(2.4m〜2.7m)もあり、小さな子供はその上に乗って戯れたが、大人が行けば隠れてけっして出てこなかったといわれています。また、伝説では、池には一対の大蛇が住んでいたとも言われている。
また、『江戸名所図会』の「静勝寺」には名所として太田道灌手植えの五葉松と当亀ヶ池が載っています。記述は、「亀が池、むかし、この池より霊亀出でけるより名付けられる」。
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亀ヶ池弁天 亀ヶ池弁天

安行原の蛇造り
祭は、五穀豊穣・天下太平・無病息災なども祈願するため、10メートルの蛇をつくる。大蛇の頭部は、木の枝で枠をつくってこれに藁を組み合わせたものを二組み作り、それらを重ね合わせて片方が上下に開くようにする。これが大蛇の口になり、その中に舌をつけ、密蔵院の住職によって書かれた祈願文をしっかりと結びつけ、耳、鼻、ひげ等が順次編まれて蛇の頭ができあがる。胴は藁をねじりながら三つ編みにして約十メートルの長さに造り、最後に頭や胴等が全て組み合わされて蛇造りは完成。大蛇をケヤキに設置し、百万遍の行事を行ってこの祭は終わる。
近くの興禅院には沼に棲む大蛇を切り刻んだ侍の伝説もある。
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安行原の蛇造り 安行原の蛇造り

見沼の龍神灯
将軍吉宗の命を受けた伊沢弥惣兵衛為永は、このあたりの見沼を干拓し、利根川から代わりの水を引く工事をしていました。ある晩のこと、為永は夢をみました。見沼の主で龍神という美しい女が現れ、私の住む所がなくなる、新しい住家を探すまで工事を中止してほしい・・・・・・と言います。来春の稲の作付けに間に合わせるために工事は一日も休めません。そのうち工事に負傷者や障害が続出し、為永も病に倒れてしまいました。するとまた夢に先ほどの美女が現れ、お前の病を治してあげるから、私の頼みも聞いてほし・・・・・・と言いました。困った為永は、龍神を慰めるため龍神灯をお供えしました。この龍神灯は、誰がつけるのかわかりませんが、為永の宿舎にしていた片柳の万年寺の大松や、氷川女体神社の大杉に、あかあかと、ともったということです。
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見沼の龍神灯 見沼の龍神灯

元亀・岩槻の慈恩寺で見付けた亀です
解説板には、亀は太古から全ての生き物のよりどころとなる模範亀鑑である、自然の力そのものが吉兆を呼ぶものとして親しまれてきた。亀翁にすがたをかえて、ひと人の平和を守護するものである。
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元亀 元亀