錫杖寺(しゃくじょうじ) 川口市本町2-4-37  真言宗智山派
錫杖寺(川口)
本尊本尊の地蔵菩薩
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三つ葉葵の寺紋
 【沿革】
開基は天平12年(740)の春、行基菩薩によって草庵が結ばれたのを濫觴とすると伝えられている。京都泉涌寺6世願行上人(憲静)、北条時宗の帰依を受け、鎌倉市大町の長楽寺を開創すると共に錫杖寺を再興する。寛正元年(1460)足利8代将軍義政、満海法師のすすめにより、七堂伽藍を整備、宥鎮和尚を晋住せしめたので宥鎮和尚を再中興の祖と仰ぐ。以後、醍醐三宝院直末七ヶ寺の一、十一談林所の一として、末寺54ヵ寺を有する名刹として栄える。
元和8年(1622)2代将軍秀忠、日光社参の折(日光御成道)、御休息所となり、以来これが吉例となり、徳川家と深い関わりをもつことになった。慶安元年(1648)3代将軍家光より金子、材木を拝領し御成門を建立、更に御朱印20石を賜る。4代将軍家綱、疱瘡治癒祈願を仰せつけられる。5代将軍綱吉の時には年頭あいさつの折の上殿を許される。
天保9年(1838)本堂焼失。天保12年(1841)本堂再建。嘉永5年(1852)川口の大火により堂宇類焼。安政2年(1855)家定より江戸城の別館、品川御殿を賜り、本堂、庫裡として使用する。現在の本堂は昭和50年(1975)に新築された。
 写真左は本堂屋根の頂上にある寺紋で徳川家の三つ葉葵、その上は十六菊の紋章。境内に葵紋はまだあります。川口市東本郷の全棟寺も徳川家に縁の寺で三つ葉葵の紋章です。
 【ネタ帳】
 大奥最後の御年寄り「滝山」が錫杖寺に葬られている。滝山は16歳で大奥へ上がり、御年寄に昇進。今でいう総取締役で大奥第一の重役。13代家定、14代家茂、15代慶喜の三代に渡って御年寄を勤める。大政奉還のとき滝山は250人の奥女中に拝領物を与え、江戸城大奥の最後の締めくくりを行う。江戸城から「滝山の駕籠」で川口市朝日へ、その駕籠も錫杖寺に保存されているという。
 何故、川口かといえば、滝山に仕えていた侍女の生家を頼って来たようです。晩年には婿養子を迎えて「滝山」の苗字を名乗らせます。明治9年(1876)72歳で逝去。 墓石には、「瀧音院殿響誉松月祐山法尼」 と刻まれている。→滝山局の墓
先日テレビで子孫の方が出られていたが、ゆかりの品などは処分してしまい、何も残っていないそうだ。

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