三重塔
三重塔
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三重塔遠景 相輪
【西福寺案内】
観音堂百観音石造観世音菩薩|三重塔
地蔵堂(延命地蔵・閻魔・奪衣婆)参道・山号塔
本堂鐘楼・荒神祠賓頭盧尊(撫で仏)
この三重塔は、三代将軍家光公の長女千代姫が奉建したもので、高さ約23メートルあり、埼玉県では一番高い木造の建物である。棟札銘文によると、この塔は、元禄6年(1693)3月27日に建立完成されたもので、かっては、相輪に安置された観音と毘沙門天の開帳があり、櫓を組んで塔の頂上まで参詣者に登らせたときもあったが現在では廃止されている。
塔は、鉄製の釘を一本も使わず細工によって作り上げてあり、構造は方三間で、一層の天井から真上に一本の柱をたて、その柱から二層・三層の屋根に梁を渡しバランスをとって、風にも地震にも耐えるように工夫されている。一層の天井付近にある「蟇股(かえるまた)」には、十二支を表す動物の彫刻が刻まれ(写真下)、方位を示している。
千代姫は尾張藩主の徳川光友に嫁ぎ、塔が完成して5年後の元禄11年(1698)に亡くなり増上寺に葬られるが、位牌はこの塔の中に納められているという。
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干支・猿
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干支・未
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写真左は赤山城址の出丸のあった場所から低地を挟んで西福寺を眺めた図。江戸時代は低地部分は沼だったそうで伊奈家の侍は舟で見回りをしたと聞く。
その右は三重塔のてっぺんの相輪。各部の名称は、上から宝珠(仏舎利で釈迦の骨を納める)、竜車、水煙(火事を避けるための水煙)、九輪(宝輪)、受花(請花)、伏鉢、露盤(伏鉢の土台)。観音と毘沙門天が安置され開帳されたのはどの部分だろうか?

桜の三重の塔 紅葉の三重の塔
三代将軍・家光は子どもに恵まれず、満32歳で授かった第一子も女児(千代姫)だった。徳川宗家の血筋が途絶えた時に備え、まだ乳飲み子だった千代姫と尾張藩主徳川義直の長男・光友(当時12歳)が婚約した。2歳で婚姻する。そこには、家光に男児が生まれなければ、天下は光友に譲られるとの暗黙の約束があった。しかし、千代姫と光友の結婚の2年後、家光に男児が生まれ、将軍光友の話は立ち消えになる。千代姫は二男二女を出産し、62歳で死去。増上寺に葬られた。戒名は霊仙院長誉慈光松月大姉。

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