川口神社 (埼玉県川口市金山町6-15)   電話:048-222-2342
川口神社本殿
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神殿
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元朝詣り
【川口神社案内】  ロゴ →Homeサイト

由緒書きによると、川口神社の社伝には平安時代の天慶(てんぎょう・938〜946年)年間、武蔵国足立郡司武芝によって、武蔵一の宮大宮の氷川神社より分祀勧請したものと伝えられています。当社はもと、氷川神社と称し、昔から領主や民の崇敬を集めてきました。江戸時代には産土神として西宝山大慈院延命寺を別当寺とし、また、名主宇田川家によって社殿の再建や修造がなされました。
明治42年2月26日、鋳物師の神として字塚越に祀られていた金山権現社を合祀して「川口神社」となりました。
川口神社の神鏡は川口市指定文化財。

写真中は神殿内。初宮参り・七五三詣・家内安全・商売繁盛・厄除け・その他諸祈願等の御祈祷を行うところ。
Homeサイトの案内によると、
御祈祷料(初穂料):五千円、一万円、二万円、三万円 (初穂料の違いにより、お札の大きさ・授与品・御祈祷の内容が異なります)
外祭(地鎮祭・清払え等)などの出張祭典は三万円から承ります。
結婚式は五万円から。
◎川口神社は神主が常駐してます。

写真下は、大晦日を過ぎた元朝参り風景です。参列者の列は道路にも続いてます。





元朝詣り

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大鳥居

大鳥居
正面の大鳥居。裏側には「大東亜戦争戦勝祈願」と銘があります。鳥居の陰になって見えないが門の右側に神社の名前を彫った石柱が下の写真。縣社の字がうっすら読める。
2007年10月にお邪魔したときは社門の屋根を葺き替える工事が始まるところだった。その後、銅板で見事に出来上がったので写真を差し替えました。そのご縁で知った施工会社の(有)大熊板金さんには社寺の情報を教えて貰いました。


社門
神門

神楽殿 金山神社

金山神社 写真左は金山神社

金の祖神(かねのおおかみ)
金山神社(かなやまじんじゃ)

御祭神】金山彦命(かなやまひこのみこと)
【御祭日】5月第2土曜日
【御由緒】金山神社は南北朝時代・暦応年間(1338年〜1341年)の御鎮座と伝へ、江戸時代以降川口鋳物業の発展に伴ひ、鋳物師の守護神「金山権現」として篤い崇敬を受けてきた。当時の祭日は11月19日で、祭も盛大を極めたと言ふ。
かつては当地の南西約300メートルの地に鎖座しでいたが、政府の方針により明治42年(1909)、川口町内の他の神社とともに町の鎮守であった氷川社に合格され、現在の「川口神社」となった。
昭和の大戦後は神社が国家の管理を離れたため、鋳物業関係者と氏子有志の熱望により、川口神社の旧社殿を移築して別宮とし、金山彦命の御分霊を奉祀したものである。
御祭神の神徳は広大で、国民生活に欠かせない金属の生産と流通、特にお金の流通をつかどり、諸産業の発展と人々の幸福、社会の平和、国家の繁栄を守護される。 (境内案内より)

写真左は神楽殿
神楽殿

境内神社(梅ノ木天神・石神井・杉山稲荷・第六天・八雲・金刀比羅宮・護国神社

梅ノ木天神社
梅ノ木天神社 境内の 由緒書きによると。
往古川口町字新屋敷に天神社が鎮座していたが、明治27年に町の鎮守氷川社に合祀され、現在の川口神社本殿に奉斎されている。
昭和11年川口第一尋常高等小学校(現・本町小学校)廿楽校長より児童の勧学の神として天神様を祀りたい旨の要請を受け、道真公の御分霊を校庭の神殿に遷座して「梅ノ木天神社」と称した。然るに昭和20年代東和戦争敗戦の伴う敵占領軍の指令により、神殿ごと当神社に返還されたので、これを境内神社として奉安した。その後、平成4年に新社殿を建設した。
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三社合祀(石神井・杉山稲荷・第六天) 八雲神社(旧金山権現社社殿)
三社合祀(石神井・杉山稲荷・第六天) 八雲神社(旧金山権現社社殿)
金刀比羅宮 護国神社
金刀比羅宮 護国神社
狛犬 狛犬
狛犬 なで牛
 舊(旧)狛犬
当神社の旧狛犬一対は、江戸時代の文久元年(1861)11月、綿屋忠兵衛とその子伝次郎とが、海老原市右衛門・岩田音次郎の世話により奉献したもので、材料は小松石、作者(石工)は小川長四郎。
以来135年に亙って社頭を守護してきたが、今般その任を終へたのに伴ひこの場所に移設し、神社の由緒物として永く保存するものである。
 平成9年2月吉日

川口神社 

右の写真は、なで牛で、右後ろの梅ノ木天神の神様のお使いとして崇められているためです。

石碑 石仏集

包丁塚  

 包丁塚


内閣総理大臣 福田赳夫著 とある。
左の石碑にいわれが書かれています。平安時代に始まり、元来、包丁は刀を転用して使っていた。料理人が新しい包丁を使う時は、金山神社と川口氷川神社の両方に参って包丁に魂を入れなければ良い料理は作れない、とあります。現在は金山神社と川口氷川神社が合祀され川口神社となる。
凱旋橋の碑  

 凱旋橋の碑


日露戦争終結の翌年の明治39年(1906)5月13日に挙行された川口町(当時)出身兵士の凱旋祝賀会に際し、凱旋パレードの通過点として当時流れていた錫杖寺杁(いり)用水に架設された石造アーチ型の凱旋橋の遺跡です。橋は同年1月に、たもとに建立された凱旋橋之碑とともに竣工し、2月18日には開通式が行われました。由来などを記した凱旋橋之碑は、現在、川口神社境内に移設されています。
凱旋橋の遺跡は錫杖寺の向かいにあります。
  →凱旋橋の遺跡
恵比須と大黒

 恵比須さんと大黒さん


恵美寿神 :七福神のなかで、唯一日本神話の生んだ神である恵比須は恵比寿・夷などと書かれる。一般には、伊弉諾尊と伊弉冉尊との間に生まれた蛭子尊だとされている。
大黒天 :大黒天は古代インドの神様で密教では大日在天の化身、生産の神様で、くろ(黒)くなってまめ(魔滅<まめ>)に働いて大黒天を拝むと財宝糧食の大利益が得ら れます。
案内図

 [案内図]


住所 : 埼玉県川口市金山町6−15
連絡先 : 048−222−2342
受付時間 : 9:00〜17:00
駐車可能台数:10台程度