石造物四基(赤羽北・旧袋村)
石造物四基
小袋庚申堂の石像物群
北区赤羽北1−6 稲荷社地内
 この地域は、袋村と称され、村内は大袋・小袋の辻子(つし)と呼ばれる二つの地域からなっていました。ここは小袋と呼ばれる辻子だったので、庚申堂も小袋庚申堂とよばれるようになりました。庚申堂には稲荷社の社殿の方から次のような石像物が安置されています。
(写真右から)
弘法大師供養塔
阿弥陀三尊種子庚申待供養塔 元禄15年11月(1702)
阿弥陀三尊種子千日念仏供養塔 寛文8年2月(1668)
庚申待供養青面金剛立像 宝永元年9月(1704)
庚申信仰についての石像仏が二基あります。これは人の体の中に住む三尸という虫が干支でいう庚申の日の夜、体内から抜け出して天帝に悪事を告げ、人の命を縮めてしまうというので、虫が体内から出ないようにと一カ所に集まって夜を徹して供養を行った記念に、袋村講中の人々によって建てられたものです。
弘法大師の供養塔は、真言宗を開いた空海の遠忌(おんき)を記念して建てられましたが、一部が破損していて造立年代や造立者は詳らかではありません
千日念仏の供養塔は、時間や回数を決めて千日間、南無阿弥陀仏という名号をとなえれば浄土に往生できるという信仰儀礼の記念に建立された塔です。袋村を中心とする十六か村の名主や結衆によって建立されていますが、このような複数の村の人々によって建てられ供養塔はあまり例がなく、貴重な文化財といえます。
これらは昔、現在の赤羽北児童遊園地付近の路傍にありましたが、昭和30年の前半、現在地に移されました。 
  平成7年3月 北区教育委員会