この石碑は総泉寺山門の外側脇に立っている。石碑中央には「清水薬師如来」、その右肩には「聖徳太子彫刻」と刻まれている。総泉寺は昭和の初めに旧来の大善寺と合併して名前を変えた。旧大善寺は15世紀末に農民新見善左衛門が聖徳太子作と伝える薬師如来を本尊として開基した。江戸時代、徳川吉宗が鷹狩りに来た折、寺で一休みして飲んだ清水が美味かったので、「清水薬師」と称せよと言ったいわれがある。その聖徳太子作の清水薬師如来がある寺ですよと案内しているのでしょう。現在、この像は薬師堂内に祀られている。左右の脇壇には薬師如来の眷属十二神将の像を置くときく。
【関連情報】
清水薬師・清水坂は『
江戸名所図会』に記載あり
清水坂は日本橋を発って中山道の最初の難所にあり、寺の境内に湧く泉は道行く人に感謝されていた。
旧中山道の清水坂の写真と板橋区による解説を掲載している
→こちら。石碑の後方には現在の中山道(R17号)がはしっている。