愛宕神社 さいたま市岩槻区本町3-21-25
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愛宕神社

愛宕神社 末社合祀
愛宕神社は土塁の上に建てられている 末社合祀
不明 不明 稲荷大明神 天神宮
    稲荷大明神 天神宮
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【末社合祀の社横の解説板】

岩槻城大構(おおがまえ)
戦国時代の末から江戸時代の岩槻城下町は、その周囲を土塁と堀が囲んでいた。この土塁と堀を大構(外構・惣構・土居)という。城下町側に土塁、その外側に堀が巡り、長さは約8kmに及んだという。
この大構は、天正年間(1580年代頃)、小田原の後北条氏が豊臣政権との緊張が高まる中、岩槻城外の町場を城郭と一体化するため築いたものとされ、城の防御力の強化を図ったほか、城下の町場の保護にも大きな役割を果たした。
廃城後は、次第にその姿を消し、現在は一部が残っているに過ぎず、愛宕神社が鎮座するこの土塁は、大構の姿を今にとどめる貴重な遺構となっている。

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