愛宕神社は土塁の上に建てられている | 末社合祀 |
稲荷大明神 | 天神宮 |
地図の青文字をクリックすると表示します |
【末社合祀の社横の解説板】 岩槻城大構(おおがまえ) 戦国時代の末から江戸時代の岩槻城下町は、その周囲を土塁と堀が囲んでいた。この土塁と堀を大構(外構・惣構・土居)という。城下町側に土塁、その外側に堀が巡り、長さは約8kmに及んだという。 この大構は、天正年間(1580年代頃)、小田原の後北条氏が豊臣政権との緊張が高まる中、岩槻城外の町場を城郭と一体化するため築いたものとされ、城の防御力の強化を図ったほか、城下の町場の保護にも大きな役割を果たした。 廃城後は、次第にその姿を消し、現在は一部が残っているに過ぎず、愛宕神社が鎮座するこの土塁は、大構の姿を今にとどめる貴重な遺構となっている。 |