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 板橋信濃守忠康墓(付石灯籠)
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植村直己さんの墓

墓の脇に立っている板橋区教委区委員会の解説を下に写しました。また、右は墓碑(戒名)の写真です。
板橋信濃守忠康墓(付石灯籠)
  板橋氏は、平安末期より豊島郡を支配した武蔵豊島氏の一族であり、その末裔にあたる信濃守忠康は、「寛永諸家系図伝」によると天正年間(16世紀末)には、北条氏直に仕えていたといわれています。
  忠康の子である忠政は、北条氏滅亡後に徳川家に仕え、子孫は旗本として幕末まで続きました。また、同じく忠康の子で、忠政の弟である蓮源社本誉利覚は、浄土宗の赤坂浄土寺の住職となっており、その関係から歴代に旗本板橋氏は浄土寺を菩提寺としています。
  その中で、文禄二年(1593)11月21日に亡くなった忠康だけは、本貫地である下板橋にあった乗蓮寺を菩提寺としています。
  寛政四年(1792)に、先祖忠康の二百回忌が旗本板橋盛壽・盛種によって乗蓮寺で営まれ、その際に墓石が再建されています。なお、その顛末は、区文化財の「乗蓮寺文書」で確認できます。
  なお、墓石の脇にある石灯籠は万延元年(1860)に十三代の板橋政道が奉納したものです。
  平成10年に区登録有形文化財となりました。
  平成20年3月                         板橋区教育委員会
戒名